リビングの片隅にはコーヒーのコーナーがあって、そこにはコーヒーミルとサイフォン、それとコーヒー豆が置いてある。
飲むのは大体兄貴と僕だけど、家族でいるときや、兄貴の友達が遊びに来ているときにも淹れるコーヒー。
手動のコーヒーミルでカリカリと豆を挽いて、その間にお湯を沸かす。
お湯はフラスコに入れ、アルコールランプでゆっくり加熱、お湯が沸騰を始めたら、フラスコにロートを差し込む。
コポコポと音をたててお湯は上に上がり、コーヒーの粉の多くはそれに押し上げられて、ロートの上部に浮かぶ。
素早くヘラでほぐしながら、やわらかなコクと風味が引き出されるのを待つ。
時計を見ながら時間を計って、5・4・3・2・1。
ランプの火を消すと、部屋にはなんとも言えないコーヒーの良い香りが漂い、ろ過されたコーヒーが徐々に下に降りてくる。
みんなのカップに丁寧に注いだら、足なんか組んだりしつつ少し気取ってコーヒーを飲む。
いつもの牛乳やコーラではなく、年上の人とほろ苦いコーヒーを飲みながらその香りやコクについての話しをすることが、少し大人の仲間入りをしたような気持がして、なんだか嬉しかったものです。
先日、友人の松浦君(リンク貼ってます)の家に行った時のこと、奥さんが凄くゆっくり時間をかけてコーヒーを入れてくれました。
コクがあって香りも良く、無駄がない・・とても美味しいコーヒーだったので、どんな淹れ方をしたのかを尋ねたところ、「これで入れているんだよ」と、僕の全然見たことのない道具を見せてくれました。
それは、なんと言うか、大きめのスプーンのような、金属でできたものでした。豆は、やはり聞いたことのない外国のもので、2人が数種類買って、どれが一番美味しいか吟味している豆のひとつでした。
久しくコーヒーにこだわっている人にお目にかからなかったので、なんだか、とても嬉しい気持ちになりました。
最近は、粉とフィルターがあらかじめセッティングされていて「コーヒーカップに乗せてそのままお湯をかけてどうぞ」、といったコーヒーや、スタバのようなカフェで気軽に美味しいコーヒーをいつでも簡単に飲める時代になっていますが、昔は、今と違って喫茶店のコーヒーも洗練されたものは稀にしかなく、頼んでもないのにアメリカンコーヒーみたいに薄かったり、やたら濃くて飲みずらいものだったり・・今イチしっくりこなかったように思います。
そんな当時、仕事でスペインのバルセロナに行く機会がありました。
ギターと旨い酒(笑)のことで頭がいっぱいの僕は、教会の地下道で名もなき若いギター奏者の奏でる「アルハンブラの思い出」の響きに感動したり(※)、夜に行った、フラメンコを見ることのできる飲み屋でのフラメンコの女の子・・ではなく、そのギター奏者のテクニックの素晴らしさ(!)とその編成に(シプシーキングスのようなグループがゴロゴロいるんだなぁ・・と)感心したりの毎日でした。
行きつけの、ガウディの造った建物の地下の飲み屋で「なんでこんなに素晴らしい建物の中でこんなに安く美味しくお酒が飲めるんだろう」と思ったり・・・(笑)
(※)そこは全体が石で造られており、音が素晴らしく響くのですが、彼はそのギターの一番魅力的に響くポイントを熟知していて、(もちろんウデも相当のものでしたが)テクニックやキャリアなどで正しくギターを弾いて聴かせるというだけでなく、その聴かせ方(響かせかたやシュチュエーション)にまでこだわっていることに、いたく感動しました。
そんな毎日の中の、ある昼間の散歩中、なんとなく買った自動販売機のコーヒーの美味かったこと!
自動販売機といっても日本のような缶のコーヒーではなく、紙コップのもので、種類は、普通のコーヒー(好みで砂糖を入れられるブラック)と、ミルクの入っているカフェ・コンレチェ(スペインの人の感覚ではカフェオレに近いものだと思われるもの)の2種類ありました。
日本の自販機で買うようなカフェオレやコーヒーとは全然違って、香りとコクが良くて美味しいコーヒーが自販機で売っていることに驚きました。(美味しいコーヒーが簡単に飲める今、行ってもあまり驚かないかもしれないね)
勿論、自販機ではなくて、普通のレストランで飲むコーヒーもとても美味しかったです。
実は、うちの実家では サイフォン式のコーヒーを飲んでいました。
一杯のコーヒーを入れるのに、まるで理科の実験のように、フラスコやらアルコールランプやら・・専用の機器を使って時間をかけて、しかも洗う手間も凄くかかって・・よく考えると非常に面倒なものですが、サイフォン式のコーヒーで、しかも、コーヒーミルで挽きたての豆を使っていたので、非常に美味しいものができました。
今考えると、やはりそれでしか出ない味があって、非常に魅力のある淹れ方だと思います。
例えば、今ではギターのアンプも飛躍的に性能が良くなって、面倒なシールドの配線やレベル設定をしなくてもプログラムで簡単にセッティングできるようになったし、ノイズも減り、音の帯域も広がりました。
便利さと安定性を考えると、今のやり方でも充分だという人も多いけれど、やはり何かが違う。
普通に聞いていても分からないかもしれないけど、何かが少し違う。
それは、簡単に飲める美味しいコーヒーと、手間隙かけてやっと淹れたコーヒーの違いみたいなものなのかな。
今はサイフォンまでには手をださず、結局カリタ式で飲んでる僕だけど、もっとゆったりとした気持で、また、コーヒーを淹れる過程での音や香りを楽しんだりしたいなぁと思いました。
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