2〜3種類ラーメンを作って、4〜5人で分け合って食べ、あーだこーだ品評します。
人によって好みが違うので、「こっちのスープの方がウマい」「いやいやこっちの麺とスープの関係が・・・」などなど、結構盛り上がります。
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思えば、酒好きになったきっかけは、[ワインレッドの心]を出した後くらいの、僕が25〜26歳の頃に、ファンの方が送ってくださった日本酒でした。
それは、新潟・長岡の『雪中梅』の大吟醸で、陶器に入ったものでした。それが有名なお酒だとも知らずに友達(蛎崎くん)と飲んだところ、あまりの美味しさにショックを受けました。
それまでの僕は、日本酒といえば酒屋で安く売っているものしか知らず、飲んだら気持ち悪くなってしまうイメージしかありませんでした。
「え?これが日本酒?」「香りが良くて、フルーティー、気だるさがなく、とにかく物凄く美味しい」
2人で、酔っ払いながらも「日本酒って美味しいんだなぁ」と感動した記憶があります。
当時住んでいたアパート(僕と蛎崎君は同じアパートに住んでいました)から一番近い酒屋さんへ行って、その感動の話しをし、「雪中梅はありませんか?」と尋ねたところ、「うちには置いてないけど、もっと美味くてもっと安い酒があるよ」とご主人。
一番近い酒屋ということで偶然入ったその店は、大手の有名なお酒は一切置かない、おやじさんの「これは」と思う酒のみを扱っているこだわりの酒屋で、お酒だけでなく、当時はまだあまり売っていなかった自然食品なんかも置いてありました。
とことんこだわる頑固なおやじさんと優しいおばちゃんが、何とも良いコンビネーションで、2人の人情溢れる人柄と、美味しい酒が詰まっているその店が大好きになりました。そして、よく通うようになりました。
その酒屋で買った酒を、僕の部屋か蛎崎君の部屋で、よくみんな(当時のアンチのステージクルーのみんな)で朝まで飲みました。みんな若くて元気がいいので、とにかく騒ぎまくります。
夜中のどんちゃん騒ぎのあまりのうるささに、ご近所の方々には恐ろしい人が住んでいると思われていたのか、苦情もきませんでした(すみませんでした)。(僕は静かに飲んでましたけど・・笑)
あの頃よく集まっていた仲間は、違う現場やセクションに行き、それぞれの道を歩いています。でも付き合いは続いていて、今でもたまに集まって飲んでいます。もちろん、もう昔のように騒いだり、無茶な飲み方をしたりはしませんが。良い友達に恵まれて、本当に良かったです(本人達には言いません 笑)。
そして、酒屋のおやじさんはというと、当時から「蕎麦屋をするのが夢なんだ」と言っていた通り、美味しい日本酒を飲ませてくれる、粋な蕎麦屋(完全予約制)をはじめて、頑張っているようです。僕も元々お蕎麦大好き人なので、何度か行きました。とても美味しかったです!
酒屋さんの方は若いお兄ちゃんに任せているようで、おやじさん目当てでもあった僕は、引っ越して少し離れたこともあり、あまり足を運ばなくなってしまいました。でも、たまに通りかかったときに、あの酒屋の横窓から覗く酒瓶を見ると、あの時の懐かしい思い出が甦ります。
今となっては誰だったのか思い出す術もないけれど、僕に良い酒人生(笑)のきっかけをくれたあの彼女へ。どうもありがとう。 |